2009年7月 9日 (木)

七夕

かつてアメリカで暮らしていた時のことです。たまたま知人の女性の誕生日が7月7日と判明し、「それは素晴らしい。日本では七夕というのがあって年に一度織姫と彦星が・・・・。すごいロマンチックな日に誕生日だねえ。」と盛り上げました。ところが周囲の友人も盛り上がらず。

彼女が次に発したのは、「最悪!!年に一度しか会えないなんて。日本では誕生日を言わないようにするわ。」

なーるほど。先入観の怖さをあらためて気が付くとともに、価値観の違いを尊重することがいかに大事かを知らされました。もう10年以上前の話ですが、未だにこのシーンは忘れられません。今年も昨夜、思い出してしまいました。

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2009年7月 5日 (日)

神戸ライブ いよいよ来週11日(土)です

神戸クレオールでのライブがいよいよ来週11日(土)となりました。

日時 7月11日(土)1830開場 1930開演

場所 神戸クレオール http://www.papageno.jp/creole/schedule.htm

お時間があれば是非お越しください。また関西地区のご友人にもご紹介くだされば幸いです。

「final.pdf」をダウンロード

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2009年7月 4日 (土)

海外音楽エピソード(9) ~ チックコリア

ポップス系の話の次はジャズのお話です。チックコリアと言えば、マイルス・デイビスのバンドから活躍を続けるスーパースターですが、日本のように大きな会場で演奏するのは稀で、NYでもジャズクラブが多かったです。

彼は素晴らしいサポートミュージシャン(多くがソリストとして独立していくのですが)を育てています。彼のライブではそうした共演者を見つけるのも楽しみです。Return to Foreverの面々はすべてがスタープレーヤーになりました。

さて、NYのブルーノートにずいぶ~ん前に聴きに行った時です。洗面所が二階にあり、しかも楽屋は洗面所の横。今もそんな作りでしょうか?とにかく当時はそんな設定だったのでトイレに行けば出演者と気軽に話ができてしまうのです。演奏が終わって、二階に行くとチックはニコニコしながら共演者と談笑中。私はまたもずうずうしく「私もピアノやっていまして。」などと話しかけました。何を会話したか、忘れてしまいましたが、握手をした時にびっくりしたのです。なんと、彼の手はマシュマロのようにふくよかで筋肉質ではなかったのです。しかも指は太く、大きな芋虫のような形。そして、よくタオルで拭いたのか、乾燥していました。

もうひとつ。これは東京の話です。チックがエレクトリックバンドを率いて来日した時です。コンサートの翌日、ニューオータニの近くの弁慶橋を渡っていると、チックはいませんでしたが、今でこそ有名になった、当時のバンドメンバーであるジョン・ペタツッチやデイブ・ウェッケルが歩いているはありませんか。「エレクトリックバンドの方々ですよね。昨日のコンサートよかったねえ。」と橋の上で声をかけると、「俺達がわかるか。こりゃすげえ。こんなに大きな町でうれしいね。な、みんな。また日本に来ようぜ。」とかなんとかで、話が盛り上がりました。お客さんと一緒でなければ飲みに誘ってしまうところでした。

昨年、上原ひろみさんとのデュオコンサートが武道館で開かれ、聴きに行きました。素晴らしい演奏でした。新しいチャレンジを繰り返しているチックには脱帽です。また握手がしたいです。

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2009年6月28日 (日)

海外音楽エピソード(7)クインシー・ジョーンズ

クラシックではありませんが、マイケル・ジャクソンの話になったので、今日はクインシー・ジョーンズのお話を。覚えている方は相当なベテラン??だと思いますが、「鬼警部アイアンサイド」というテレビシリーズがありまして、そのテーマソングが無茶苦茶カッコ良いビッグバンドの曲でした。音楽担当を調べると、それがクインシー・ジョーンズだったのです。それから色んなところで彼の名前を見ることになりました。もちろん、ディスコブームの中での大ヒット「愛のコリーダ」で日本でも不動の地位を得るのですが、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロデュースも彼です。

で、エピソードですよね、書かないといけないのは。

まずは、ビル・ブラッドレーというロス市長が再選を目指している時に、クインシー・ジョーンズがロスのアムフィシアターで支援コンサート(米国では選挙でよくあります)が開かれました。たまたま、ロスに滞在していた私は、友人にチケットを取ってもらって見に行ったのですが、なんとパティ・オースチンやらスティービー・ワンダーまで登場してしまう、とんでもないコンサートでした。相当得した気分でした。

その翌年、コロラドでスキーをしていた時でした。ランチを取っていると、どう見てもクインシー・ジョーンズとしか思えない人が家族でランチをしているではありませんか。いや、そんな馬鹿なと思いつつ、ずうずうしく話しかけ写真まで一緒にとったのです。大変気さくな方で、有名人の雰囲気は全くなく、彼の娘さんが大変日本に関心があることも話してくれました。そして、その写真を後日彼の事務所に送ると、一週間ほどして「The Dude(愛のコリーダ)」のカセットテープとサイン入りの手紙が返送されてきたのです。かかかかか、感激!!彼との写真は宝物です。

しかし、もう彼もマイケル・ジャクソンのアルバムをプロデュースできないのですねweep

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2009年6月27日 (土)

追悼:マイケル・ジャクソン

昨日、ご存知のようにマイケル・ジャクソンが亡くなりました。やはりショックです。「クラブ」と言わず、「ディスコ」と呼ばれた時代に彼の曲が流れなかった日はありませんでした。勤務先のテニス合宿ではスリラーの真似事をやり、We are the world をテーマソングにして大合唱したこともありました。

彼は何度か日本で公演をしているのですが、私も一度東京ドームの公演を観に行きました。沢山の子供をステージにあげ、「子供達のために、愛と平和の社会を・・・」と言っていたような記憶があります。もちろん、ムーンウォークも生で拝見しました。映画を見ているようでした。スリラーのビデオ制作に関わったアメリカの友人が、「誰にでも優しく、特に子供は親切にしてもらった。」と言っていました。

マイケルには、クインシー・ジョーンズ、ロッド・テンパートンといった万能プロデューサーが付いていました。ビデオに合わせた編曲や曲の構成は驚くべき(当然とも言えますが)完成度でした。すべてがファミリーのように動いていたような気がします。

しばらくは街のあちこちでマイケルの曲が流れているのでしょう。

合掌

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2009年6月22日 (月)

海外音楽エピソード(6) ハンガリー

東欧が外貨稼ぎの一環として音楽家教育に国家を挙げて取り組んできたのは相当前、もちろんベルリン崩壊の前の話です。もちろん、これは大成功し、多くの優れた音楽家を輩出し、彼らの西側での活動もかなりの自由が認められていました。当時は亡命ということがリスクとしてあったのですが、それでも芸術の国境は低かったのです。

ベルリンの壁崩壊前に東欧をふらふらしたことがありました。夜はすることがないので、教会の小コンサートを探していました。チェコとハンガリーで素晴らしい演奏に出会うのですが、特にハンガリーの教会で行われたバロックの室内楽には驚かされました。技術は勿論のことですが、教会という残響の難しい会場の特性を知りつつ、バイオリンの向きをかえながら演奏するのです。夏だったのでお客さんは観光客が多いのですが、拍手がなりやみませんでした。確か、有名なバイオリニストだったのですが、名前を忘れてしまって・・・、すみません。

この東欧旅行では、音楽が万国共通であることを実感しました。教会に行けば、皆、西側の曲を演奏しているのです。別にロシアの曲を演奏しているわけではなかったですね。そして、ハンガリーのように、リストやコダーイという素晴らしい作曲家が育ったところでは完全に生活の一部になっている気がしました。

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2009年6月21日 (日)

海外音楽エピソード(5) プラシド・ドミンゴ

ウィーンの冬はオペラの季節です。ウィーンには学生時代に知り合った現地の友人がいて、今も連絡を取っています。彼の家で頂くローカルな食材を使った食事は最高です。

さて、96年だったような記憶があるのですが、年始にフォルクスオーパー(国立歌劇場)で「イデメネオ」を観に行きました。凍りつくような寒さの中に悠然と建つ歌劇場とライティングは暖かさを感じます。ガラーンとした廊下は、そこで貴族の舞踏会が開かれたのではないかと思える広さです。さて、私は2階バルコニー席で身を乗り出してドミンゴの声を聴き、満足して幕となりました。ドミンゴ人気は大変なものでカーテンコールは5回はあったでしょうか。冬なのにノースリーブの黒いドレスを着た女性達が立ち上がって拍手拍手!!

あれ!どこかで見た光景が・・・。

なんと、その多くの女性ファンが花を舞台に向かって勢いよく投げ込んでいるのです。2階席からはよく見えるのです。届かない花はオケボックスに落下します。楽団員もよく心得ていてナイスキャッチ。ドミンゴはというと、軽い身のこなしで花をサッとよけていくのです。お辞儀をしながらも、サッ。顔をあげてサッ。またお辞儀をしつつ、サッ!

これは日本の人気タレントか、もしくは演歌の王様と同じです。で、極めつけは、(私の記憶が間違っていなければ)ドミンゴがなんと汗を拭いたスカーフを投げたのです。

オペラが一般大衆と密接に関わっていると実感した一瞬でした。ドミンゴ様、貴重な体験をありがとうございました。

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2009年6月17日 (水)

海外音楽エピソード(4) エマニュエル・アックス

乗ってるぜ! というのがこのピアニストでした。

ロンドンのロイヤルフェスティバルホールでベートーベンのピアノ協奏曲3番を聴いた時のことでした。この曲は、メロディがしっかりした短調で、ベートーベンというよりはモーツァルトかなあ、と思うような出だしから始まります。第二楽章になるとやっぱりベートーヴェンだあ、ということになるのですが。

さて、ピアニストはエマニュエル・アックスだったのですが、すごく親しみの感じるお腹の彼はピアノが始まるまでのオケのイントロを実に楽しそうに聴いているのです。ついには、聴衆に顔を向けてにこやかにリズムを取り出すのです。短調の曲なのですが、回りを見るとお客さんが「乗っている」ではありませんか。クラシックでも「乗り」は重要だと思うのですが、彼はもうその仕草で弾き始める前に引きずりこんでしまったのです。

第三楽章がまた「乗り」が良いので、あっという間に楽しい時間が終わってしまったという気分でした。勿論、拍手喝采・・・。そしてサービスというよりは心のこもった笑顔を360度ふりまいておりました。思わず、「おっさん、すごいぜ!」と言いたくなる雰囲気でした。

ちなみに全く関係ありませんが、彼の奥様は日本人という話を聞いたことがあります。今年は来日するようです。

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2009年6月13日 (土)

海外音楽エピソード(3)エリーゼのために

皆様ご存知の「エリーゼのために」は「アラベスク」とともに、ピアノを習い始めた幼少期に必ず発表会などで弾くために練習する名曲です。ベートーヴェンが38歳の時の曲と言われていますから、意外と晩年にこんなロマンチックな曲を書いたのですね。もちろん、ロマンチックな曲を書けなくなったら悲しいのですが。

さて、10年以上前でしょうか、NYのカーネギーホールでアルフレッド・ブレンデル(ピアニスト)のベートーヴェンソナタを聞いた夜でした。当日にチケットを買ったのでやけに高いフロアの席で、その上時差ボケに暗さが重なり、子守唄のようにコンサートを楽しんでいました。素晴らしい演奏で、当然アンコールの拍手は鳴りやまず。何回かのカーテンコールの後、彼が弾き始めたのがこの「エリーゼのために」でした。私は、「すっごい勇気だ!」と思って身を乗り出しました。ところがカーネギーホールの聴衆は、な、なななんと笑ったのです。

アメリカでは聴衆のマナーがちょっとヨーロッパや日本と違いますが、ここは笑うところではないだろう!と腹立たしく思いながら耳を澄ましました。すると、聴衆は笑ったことがすぐさま間違いだったとわかったのか、次の瞬間に凍りついたような静寂に変わったのです。しかも、その静寂はさらに深くなり、一本の光の筋のような厳しい透明なものになっていきました。その先にあったのは言うまでもありません。

ブレンデルが弾き終わると、数秒の静寂がホールを取り囲み、そして爆雷のような拍手が起こったのです。隣の女性は涙を流しているではありませんか。私は最後の数小節で鳥肌が立ったのを今でも覚えています。この演奏を生涯忘れることはないでしょう。

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2009年6月 8日 (月)

海外音楽エピソード(2) イギリス編

ロンドンは大都市なので、音楽ホールも様々なサイズの場所があります。私のお気に入りのホールにウィグモアホールというところがあります。ロンドン中心街のデパートセルフリッジの裏あたりにあります。若手演奏家のデビューの場所だったりするのですが、時折素晴らしい演奏家が来るので、いつもチェックはしていました。

ハンガリーのクリスチャン・ツィメンルマンというピアニストの時でした。あいにく、外は雨。それもかなりの大粒。舞台に登場した彼がピアノ椅子に腰かけると、さらに強い雨。えっ、なぜわかるのかって。東京では信じられないのですが、なんとしーんとなったホールに屋根に降り注ぐ雨の音ががんがん響くのです。いまかいまか、という時に彼は天井を見上げ微笑み、そして両手を挙げて、笑いながら首を振ったのでした。会場も爆笑。

それで緊張感がうまくとけたのか、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。さすがに「雨だれ」は演奏しませんでしたが。

雨雨降れ降れもっと降れ・・・。

こうした会場もなんとなく落ち着くものです。今はどうなっているのでしょうねえ。

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