私の音楽感謝史-1. レコードコレクション侵入
皆様
いつもありがとうございます。
音楽の舞台に立たせて頂いていることに、つねに感謝しています。
人生の中で、多くの方々から影響、刺激、愛情を受け、「音返し」のつもりで取り組んでいます。
自分の人生の中で、こんなことがあったことを忘れてはいけない! というお話を気がついた時にブログに書いていきます。
第一回目:レコードコレクション侵入
小学5年生の時に、あるテレビ会社共催の音楽コンクールに子供ジャズバンドで出場しました。
それが縁で、テレビ出演とかコンサートがあったのですが、テレビ局でいつも話を相手をして頂いた、Kさんというアルバイトの方がいました。
アルバイトといってもその頃の私から見れば、ばりばりに仕切られていて格好良かったです。
何かの時に、家が近いことが判明し「遊びにこないか。」という話しになり、私とトランペット担当2人の3人で行きました。
彼が誘った理由がすぐにわかりました。お宅の応接間に入った瞬間に、我々は目が点になり、アドレナリンが急上昇したのです。
それは、壁にびっしり詰まった、今まで見たこともないレコードコレクションでした。
無我夢中で、その日、Kさんの説明を聞きながら沢山のレコードを聴きました。
その頃、狭いアパートの我家にステレオなどなく、レコードも高価で、誕生日に1-2枚買ってもらう程度でした。
私は色々なミュージシャンの音に興奮していました。
エリントン、マイルスの多くの楽曲に触れたのもその時です。
ところが帰り際に、「ぼくがいなくても、オフクロに言っておくから、いつでも聴きに来てよ。」とKさんに言われて、純粋なというかアホな我々はそれをそのまま実行したのです。
放課後にKさんのお家に伺い、勝手にレコードを大音量で聴き、お母様が出してくださるケーキとお茶を図々しく頂き、満足して帰って行く。
そんなことがしばらく続きました。なぜ行かなくなったかは記憶にありません。
その時に耳にした、ジャズの不協和音(別に不協ではないのですが)の連続に、ひたすら興味を覚えていました。
中学生になり、クラシックの作曲を習った際に、旋律課題でいきなり7thや11thをコードを使って、えらく怒られるのですが、自分として協和音と思っていたのでしょう。それは、間違いなくKさん宅のレコードコレクションを聴かせて頂いた新鮮な感覚から来る物でした。
今は、Kさんはどうされているのでしょう?
Kさん、そしてKさんのお母様、本当にありがとうございました。
D flat
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