心と体

2017年3月13日 (月)

6年

2011.3.11のことは忘れられないです。

誰も忘れることはないでしょう。
激しく揺れるオフィスで「机の下にはいって。大事な人にすぐ電話しなさい。」と言った自分を毎年思い出します。
合掌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年8月 9日 (土)

3分の1できれば上等です

夏休みをどのようにお過ごしでしょうか?

毎年のことですが、1週間くらい休みを取りどこかに出かける前に、TO DO LIST を作ってしまいます。例えば、読みたい本2冊とか、5曲作るとか・・・。
当然のことながら、全く達成できません。
しかし、ある時、産業医の方がこんなことを言っていたのです。
「半分できれば上等。10あったら2-3で十分。」
勤続15年たつと1カ月の休暇がもらえる会社でのお話です。社員がその休暇に何か達成感を求め過ぎて、休暇後かえってストレスが溜まったらしいのです。
考え方を変えましょう、というメッセージですね。
緑豊かな場所で、朝いい音楽といい空気を感じながらボーっとしているだけでもいいと思うのですが、TO DO LIST を作るあたりが、まだまだです

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年3月15日 (土)

東日本大震災から3年

はやいもので2011年3月11日から3年が経ちました。あの年はニュージーランドのクライストチャーチでも地震があり、今なお倒壊した教会が残されています。 たけしさんが、週間誌のインタビューで語っていた犠牲者の数との向き合い方が、印象に残っています。2万人の犠牲者ではなく、尊い1人の命が犠牲になるということが2万回もあったのだ、と。

身近な人が亡くなる時の苦しみ、悲しみは、経験のある人であれば、思い出したくもないくらい重いものではないでしょうか? それが2万回も続いたとしたら、それこそ生きることが苦痛になってしまうくらいの衝撃ではないでしょうか。
あの日、私は会社にいて、揺れの中で机下に入り「家族に電話をして。」とチームメンバーに叫んだ記憶があります。つながったのは2人のみ。あとは、回線があくまで5時間ほど待たなくてはなりませんでした。
命の重さをあらためて感じた今年の3月11日でした。
合掌

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年12月12日 (月)

番外編:12/8 軍人の方々

12月8日が来ると、真珠湾に関する、記事・番組が見られました。あの日から70年という月日が経っているのですが、まだまだ公開されていない、もしくは文書そのものがなくなり真実の追求ができない事象も多くあるようです。

私の周りにも旧軍人がいました(だんだんと亡くなっていかれたのです)。音楽や哲学に造詣が深い方ばかりでした。本当によく本を読まれていました。今の時代からは想像できない過酷な状況を生き延びたためでしょうか、皆さんまっすぐで芯の通った人でした。自分からは決して戦争の話しはされませんでした。

悲しみや喜びを音にする。それが音楽家の仕事です。しかし、筆舌に尽くしがたい悲しみをどうやって音にしたらいいのでしょう。戦争はそうした悲しみから逃れられないのです。士気を鼓舞する曲を作った音楽家はどんな思いだったのでしょう。

あらためてあの戦争で亡くなられた皆様に合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 6日 (土)

空気のきれいな冬もあとわずか

冬は空気が綺麗です。遠くまで景色が見渡せる美しい晴天もあれば、人々の生活を一変させてしまう激しい雪もありますが、空気は澄んでいます。

この写真は奈良から送って頂いたものです。やまとの旧市街から見上げるこの美しい空はなんともいえません。

100210dvc00038 国内でも海外でも、こうした景色に出会えると本当に得した気分になります。そしてこの空気が吸えることに感謝したくなります。

もうそろそろ冬から春に移りますが、春にもまた新しい空気がやさしく皆さんの周りを包んでいくことでしょう。

今、ある番組の曲作りをしているのですが、自然や人々の情景は本当に大事です。それが音にそのまま表現できれば・・・、そうはいかないのですが。難しいとチャレンジしたくなります!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年1月21日 (木)

その時はどこに ~阪神淡路大震災

以前も書いたかもしれませんが、毎年この季節になると2つのことを思い出すのです。

阪神淡路大震災とサリン事件です。どちらも多くの罪のない人々が犠牲になりました。その時自分はどうしていたのか。鮮明に覚えているのです。これらは、人生の中で忘れられない日がいくつかあるうちのひとつであることは、間違いありません。

今日は震災の日のことです。私はロンドンに住んでいたのですが、その日はたまたま徹夜をする仕事があり、現地スタッフも含めて10名ほどが仕事の準備をしていました。徹夜の理由は、日本のお客様と翌朝取引をすることになっていたからでした。丁度、ロンドンで打ち合わせを終えたころ、CNNが薄暗い日本の景色と煙を映し出し始めたのです。しかし、日本時間で6時過ぎごろだったので、電話することをためらっていました。7時ごろになって東京の本社に電話をすると、関西出身の社員が「電話が通じない。よくわからない。」とのこと。そのうち、CNNが色々な映像を映し出し始めたのです。しかし、まだ被害がよくわかりませんでした。

それからその取引を中止するかどうか議論になりましたが、東京は影響が少ないだろうということで実行されました。しかし、どうしても胸が苦しいような違和感がありました。机にすわりただただCNNのモニターを見ていたのですが、明らかに受け入れられる光景ではありませんでした。

時間がたつにつれ入ってくる情報は増えました。国際回線は優先されたらしく、関西の親族と話せた社員もいました。しかし、2、3日たってもその違和感が胸の奥から(正確には胃なのかもしれませんが)離れませんでした。

それからBBCやCNNで見た報道にはただ呆然とするばかりでした。遠く離れていても襲ってくるこの違和感に、国に対する思いを感じ、そして遠く離れて何もできない自分に苛立っていたのです。東京本社の同僚の中にはボランティアで神戸に飛んで行った社員もいました。

あの違和感を一生忘れません。  合掌

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年9月28日 (月)

古い友人

最近、古い友人とか以前の同僚とかに、ばったり街で会うこと増えたのですが、今日も自転車(ママチャリ)で飛ばしていると、あれれれ・・・、以前の同僚がお子様と散歩中。一発とお互いが認識できたので、ホッとしあいました。

「変わらないねえ。」とお互いに言うことで実はなぐさめあったりしているのかもしれませんが。同時に、人生経験というか成長がないということなのか、と考えちゃったりします。嬉しかったのは、その同僚が以前から持っていた気品というか凛とした態度に全く変化がなかったことです。サドルの上から話していたので、先方にこちらがどう見えたか、探れませんでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月27日 (月)

5月病

ちょっとブログがご無沙汰しました。その間にもいろんな話題がありましたが、圧巻は人気タレントさんの泥酔全裸事件でした。ストレスをためておられたのではないでしょうか。Aperitifsを聴けば・・・。

さて、雑誌の解説によると5月病は交感神経から副交感神経への微妙な異動期で、どうしようもないことのようです。なんとなくですが、4月中旬から刺激のある音楽を聴くようになったのはそのためでしょうか?また、調律も「明るめにしてくださ~い」とお願いしてしまったのもそのためでしょうか? というか、自分では知らずのうちに準備しているということです。

実は、毎年5月病になるのですが、その原因は明々白々です。GW中にやることをついついリストアップしてしまい、全くそれが達成できずに終わって「落ち込む」というわけです。今年もリストありますが・・・達成率50%を目指しています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 9日 (木)

応援!!

応援する・・・ということがいかに重要か?それはスポーツに最も多くでるようですが、日常でも本当にえっと思うくらいの効果があるように思います。野球選手のインタビューでは当たり前のように「応援お願いします。」という言葉が出てくるくらいです。

優しくする、のと 応援するでは全く違いますよね。会社でも怒らないことは大事なのですが、そのままで済ますわけにも行きません。そんな時、「応援する」気持ちになることが大変大事だと思っています。私のことを引き立ててくれて、今は引退している友人も徹底的に応援してくれました。

大声で怒鳴り散らしてうまくいくことなどないでしょう。とは言っても、応援して凡退が続けばスタメン落ちになります。諦めないで応援する、というのがまずは必要かな、と思うこの頃です。

といいつつ、自分も応援に弱いので、応援よろしくお願いしま~す。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月 8日 (日)

価値観の再構築

ウォール街の価値観がなんだか当然のものと錯覚していた時代が、終わろうとしています。誰でも、貨幣で価値を判断することはできない、と太古の時代から知ってはいるのですが、なぜだか何でも値段を付けていた、ということでしょう。しかし、今は価値観が大きくかわっているようです。美味しい野菜、美しい音楽、優しさ、または1枚の絵覆う空間など、どのようにしても貨幣価値におとすのが難しいものが見直されています。そもそも、価値観は押し付けることができないのですが、それを貨幣価値に「変換」してしまったところに課題があったのでしょうね。いくら、一杯のコーヒーと紅茶がそれぞれお100円だとしても、コーヒーが嫌いだったらずーっと紅茶を飲むわけで、その人にとってコーヒーと等価ではないですよね(あ、これはミクロ経済学初級でした)。

ある時、あの人の笑顔に救われたという人も多いのではないでしょうか。そういったシンプルな心の感じ方は当然、お金には替えられません。

時折思うのですが、もし株式市場が1年間お休みだったりするとどうなるのでしょうか?もちろんとんでもないことなのですが、1年間の間に人間は何を考えるのでしょうね。他の商品で運用するので金融市場がなくなることはないのですが、価値観を再構築する「時間」を社会全体が一度持つべきではないかと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧